才能を発揮しやすくなった社会で、真逆の時代を生きる大人と子どもが安心して共存するためにできること。

近年インターネットの発達により、ゲームの開発や、ブログ運営でのお金稼ぎなど、手軽に行えるようになりましたね。

また、多様性を受け入れる取り組みによって、子ども一人一人の才能を育てやすくなりました。

その一方で、強い同調圧力により、出る杭は打たれ才能は搾取されるような時代を生きてきた大人たちがまだまだ多数存在しています。

このように真逆の価値観を持った時代を生きる、大人と子どもが、安心して共存していくのは、なんだか難しそうですよね?

ですが、今の才能を発揮しやすくなった子どもを仮に10代とすると、これからの10年次第で、大人と子どもがお互いに尊敬し合えるような、そんな未来が訪れるでしょう。

なので今回の記事では、真逆の時代を生きる大人と子どもが共存していく中で、起こり得るリスクと対処法についてお話していきます。

真逆の時代を生きる大人と子どもが共存する中で、起こり得るリスク

神里ってリスクとかデメリットばかり気にするよね?
だから上に上りたくてもできないんだよ!
オレみたいに堂々と進めばいいのに!

しょうがないだろう?俺は自分の人生を壊されて生きてきたんだ。
だからこそ人の評価は善でも悪でも聞きたくない。
これ以上壊されてたまるかー!

起こり得るリスクとして最も高いのは、意見の対立ですね。

これは世代関係なしに、幼少期を過ごしてきた環境でも表れるものですが、個性を尊重され、ポジティブな経験を強くした人は、ポジティブな発想多くなります。

逆に個性を否定され、ネガティブな経験を強くした人は、ネガティブな発想が多くなります。

そこで今の時代では、多様性を受け入れられるようになったため、前者の傾向を持つ子どもが増えていくでしょう。

そして大人は、個性を重んじない時代を生きていたため、後者の傾向が多くなっています。

さらに大人は子どもに比べて、成長もゆるやかであるために、時代が変わってもすぐに意識が変わることは少ないですよね。

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意見の対立の何が問題なの?

これは、ただ言い争っていたり、一つの意見として交し合っているだけであれば、特に問題ありません。

しかしこの意見の対立から、子どもが大人を軽視するようになったり、大人が子どもへの嫉妬心で虐待するようになると、問題ですよね?

才能を発揮できている子どもとなれば、親もそれなりに教育に気を使われていて、感情で否定することは少ないと思いますので、一番怖いのは親以外の大人たちです。

幼稚園や保育園、学校の先生など、意外に怖い人たちが多いですよね?

いじめが起きても放置したり、教師からいじめてくることもあります。

実際に筆者が小学生だったときにも、明るくて元気な子どもには普通に接するのに、内向的で自己主張が苦手な子どもには、いつも怒っている先生がいました。

そこは普通の学校ではなくて、身体が不自由で車椅子に乗っている子や、発達障害や親からの虐待で保護されて入院している子どもが通っている学校だったのですが…

また、関わる確率は低いでしょうが、児童相談所辺りがまだまだ発展途上なのか、教育の仕方がおかしい場合があります。

具体的にいえば、指示通りに従わないと「みんなはできるのに、どうしてあなたはできないの?」といったように人格否定されたり、

少しルールを守れなかっただけで反省部屋に閉じ込められて、反省文を書かされたりします。

他には、いいところを見ずに、とにかく人より劣っている部分や変わっている部分を強調して、煩く言われたりもしましたね…。

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もしかするとこういったことは、児相に限らず、一般的な学校でも起きていることじゃないでしょうか?

このような環境であれば、少しでも子どもが大人を軽視する発言をしてしまった場合、虐待に発展するリスクを想像できますね。

そうなると、才能を手にできて自分に誇りを持っていた子ども、自分の悪い面ばかり気にするようになり、無気力状態になってしまいます。

ですが、せっかく才能を手にできたのなら、大人になってもそれを持ち続けられるように、守っていきたいですよね?

なんでこの世の中には、そんな意地悪な人がいるの?
オレたちが成長するための邪魔をしないで!

いいや違うんだなケネイド。
こういう悪役適任者みたいな人がいるからこそ、才能と同時に強い心を手に入れられるのさ。

ほえ?

この勝負に勝って天才になるか、負けて意地悪野郎と同じになるか…

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安心して共存するためにできること

さいごに、状況別に対処法を考えてみたので、それらについて説明していきます。

天才を殺さない凡人と、凡人に殺されない天才になろう!

それが当たり前の世界を創るのは、今を生きるオレたちの役目だね!

子どもが大人を軽視しないためには?

子どもが大人を軽視しないための対策として、両親や祖父母世代の歴史について話してみるといいでしょう。

なぜなら昭和と平成、平成と令和の時代って比べてみると全然違いますよね?

年月を重ねるごとにいろんなものが増えていったり、進化し続けています。

なので意見の対立が起こりやすくなったり、大人よりも子どもの方が優れやすくなるのは当然なのです。

例えば、「どうして大人はスマホを使いこなせず、若い子や子どもは使いこなせるんだろう?」と疑問を持ったとします。

そこでこの疑問を解くために、携帯電話の歴史を振り返ってみましょう。

昭和で使われていた携帯電話は、今のスマホのように、なんでもできたわけではありません。

特に初期の1980年代に発売されたショルダーフォンは、「携帯できない携帯」なんて呼ばれるほど重さがあったそうですね。

それから1990年代のポケベルから軽量化され、「着メロ」の機能が追加されました。

そして2000年代に入りガラケーが誕生します。

ガラケーだと、10代なら祖父母が、20代なら両親が使っていたよという方もいて知っているかもしれませんが、ここでようやくカメラやメールなど複数の機能が増えました。

俺が母さんから使わなくなった携帯を貰ったものには、車のシューティングゲームが入ってたな。
あとは着信音に、メタルギアソリッドの効果音が入ってたのが面白かった!

いいなぁ、オレもガラケーで遊んでみたい!

さらに2010年代になると、ようやく現代主流となっているスマホが誕生しました。

スマホはパソコンに匹敵するとまではいきませんが、本当に機能が多いですよね?

電話やメールができることはもちろん、カメラ機能もありますし、アプリを使えばそのカメラで撮った写真を加工することだってできます。

また、着メロのみならず、普通に音楽を流して聴くことだってできますし、インターネットに繋げて調べ物をしたり、SNSを使用することもできますね!

他にもパズルゲームや、過去にファミコン用として発売されていたタイトルがプレイできたりと、挙げればキリがないほどスマホではなんでもできます。

参考元

このように、両親や祖父母が若かった頃に持っていた携帯電話では、数えきれるほどの機能しか備えておりませんでしたが、今の携帯電話は数えきれないほどの機能があります。

さらにここへ、上部でも説明したように、「大人は子どもよりも成長がゆるやかである」ことを考慮すると疑問が解けてくると思います。

それは…

大人にとってスマホは、使い慣れた携帯よりも機能が豊富であり、新しい知識を吸収するのも難しいため、スマホを使いこなせないが、

子どもや若者にとって、スマホが初めて使う携帯であり、新しい知識を吸収しやすいので、スマホを使いこなせる。

ということになりますね!

また、携帯以外でも歴史を辿ると、今の人は当たり前にやっていることでも昔の人はできなかったことはたくさんありますのでそれらを調べてみるのも良いでしょう。

そうすると、昔よりも現代、大人よりも子どもが優れているのが普通であるのがわかってくると思います。

そもそもそれが普通でなければ、時代が日々変化し、人や技術が進化することはありません。

普通であるというのがわかれば、大人に対する軽蔑も、子どもに対する嫉妬も、どうでもよくなってきますね!

度々親が話しているのを聞くとさ、おじいちゃんは学校に行けなかったから小学生で働いていただとか、父さんの長男は戦争で亡くなっているとか…大人を軽蔑してる場合じゃないなと思ったんだよね。

よく歴史のドラマで、字が書ける、読めるだけですごいって言われているのを見るよ!
現代人なら当たり前にできていることをさ…!
でもこうやって過去を生きた人たちのおかげで、今のオレたちがその知識を使い、才能を輝かせられているなら感謝したくなるね!

なので是非歴史について話し合うことで、子どもであれば、過去を生きた大人たちのおかげで今の自分があることを、

大人であれば、未来を創る子どものために、何を伝えていけばいいのかを、知っていただければと思います。

なるほど!確かにそうしたら子どもと大人で、お互いを尊敬し合っていけそうだね!

これぞまさに、理想の共存ってやつだな!

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教育者からのいじめや虐待にあったら?

もしも学校の先生などから、嫌がらせを受けているということがあれば、子どもの場合、まずは自分が一番信頼できる家族に相談してみてください!

それから、両親が真剣に話を聞き、それに応じた対応を取ってくれたら、感謝の気持ちを忘れないでおくといいでしょう。

反対に話を聞いてくれなかった場合は、自分で自分を守る体制に入っていきましょう!

具体的には、いじめられたときのことを思いだしたときや、自分を責めたり否定したりする考えが浮かんだときには、他のことをやるのがいいですね。

例えば、自分の才能を発揮できるものに打ち込んだり、面白いと感じたり、心が落ち着くものに、感覚を集中させるといいでしょう。

最初の方はそれが難しくても、何回か続けているとできるようになってきますので、できるようになることだけを目指して頑張ってみてください。

天才気質の方であれば、無理だろと思いながらも、気付いたときには達成させているので、自分の力を信じましょう。

また、どれだけ辛く苦しく痛い出来事も、いつか必ず終わりがきますので、その日を諦めないようにしてください。

ただし、それをキッカケに他の子をいじめてしまうと、その子の人生が壊れるだけでなく、自分の人生もさらに壊れていきますのでやめましょう。

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少々厳しく書いたけどね、こんな絶望的な状況を自分の力で乗り越えられたら、かっこいいと思わないか?
最恐最悪のボスに挑む英雄って感じがするだろう?

実際にそれをやっている神里は英雄なのかな?
オレはわざわざキツイ道を選んでいて、ただの変人だと思ったけど、キミはどう思う?

いいじゃないか、この世のすべてを守るナイトにはなれないけど、自分を守れる暗黒騎士くらいにはなれるんだぞ!

発想が中二病!?面白いからありだね!
その路線でいくなら、オレは前線を駆け回る戦士になるよ!

それから、苦しい、悲しい、怖い、痛い、といった負の感情も自分の大切な一部ですので、乗り越えようとするあまり、

「苦しんではいけない」「痛みは感じないようにしなきゃ」と考える必要はありません。

そうすると余計に乗り越えられなくなりますので、自分はあるがままでいいのだと、認めてあげるのも忘れないようにしてくださいね!

つぎに、子どもの話を聞いた大人の場合は、先生がそんなことするわけないとは思わずに、真剣に聞いてあげましょう!

実際に、子どもからだけでなく先生からいじめられることもあります。

しかもそれをやられると、同い年の子どもにいじめられるより、もっと怖いですね。

個人的には、同い年からのいじめが可愛く思えたほどです。

なので、どれだけ受け入れがたい内容でも、まずは聞いてほしいのです。

実体験として、今は両親から頭ごなしに否定されることはありませんが、筆者が子どもだった当時は、話しても全く聞く耳を持ってもらえませんでした。

その結果どうなったかといいますと…

「何かあったら、大人に相談すれば助けてくれるなんて嘘じゃないか。」

「守りますという態度を見せながら、そんな度胸はない。大人は弱い生き物。」

「これ以上生きたくないけど、死ぬのはなんだか負けた気がする!」

こんな風に思いながら、人生に絶望して生きるようになっていったわけです。

もしも、話を聞かずにいて、自分の子どもがこのような考えを持ちながら、生きるようになったらと思うと悲しくないですか?

悲しいですよね。

これが筆者と同じように、負けず嫌いな子でなければ、自殺しているかもしれません。

実際にそうやって死を選ぶ子も多いと思います。

こうなったら、才能の有無とか関係ないね。
全力で我が子を助ける方法を探すのみよ!

オレも自分に才能があろうとなかろうと関係ない!
全力で救われる方法を見つけてみせるよ!
そしたら両親も認めてくれるよね?

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おわりに

今回の記事では、真逆の時代を生きる大人と子どもが安心して、共存するためにできることについてお話ししました。

上手いことを思いついたようで、上手くまとめられなかった、ぼんやりとした記事となってしまいましたので、これからも研究し直していこうと思います。

いかなる挑戦にも失敗やミスなんて付きものさ。
諦めずに納得のいくまで追求し続けるぞ!
俺にしか出せない答えを求めてなぁ…!

この姿勢を守り続けられるように、オレも頑張るからね!

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